水平野(すいへいや)

思ったこと考えたことを書いていく

もしニュースサイトを作るとしたら

もしニュースサイトを作るとしたらどうするか。そんなことを考えることがある。

ネットとメディアの現状

ネットは今となってはなじみの深いものだ。多くの人がネット越しで既存のあるいは新興のメディアを閲覧しているだろう。そしてそれらサイトは運営をしていく中で多くの方策がなされている。

ただ、個人的にはしっくりくるものがないというか、不満が多いことがある。例えばある一定期間がくると消える記事、過剰なほど広告がある場合がある、など。あるいは、ある記事は無料である記事は有料にしているなどもあるが、どうも違和感がある。

例えば消える記事。ネット上でうんざりさせられるのはリンク切れがあるということだ。このようなことは今後のIT界では通用しないだろう。また広告頼りというのも多くの問題をはらんでいる。この方法で行くとたいていの場合はクリックベイトやフェイクニュースなど多くの「公害」を出すことになる。今は少しずつ有料化に進んでいるようだが、今あるものは仕組みとしては単純なものであまりよろしくない。

とにかくIT業界の思惑と既存メディアの利害と思惑がうまく合致していない。

これで問題は解決する

そこで、私はちょっとした工夫でしっくりくる方法を考えてみた。もう少し進化した方法があるのではないか、と。

まず恒久的なURLの記事にするということ。これは外せない。そして、広告のみに頼らないようにしたい。しかし、単純な有料化でどれだけ登録者がいるだろうか。そこで、うまく組み合わせることを考える。

まず記事の価値に3段階を設ける。bronze、silver、goldの3つだ。そして、ユーザーの階級に3段階を設ける。free、basic、premiumの3つ。これは料金によって違いがあるようにする。そしてこれらの組み合わせでどう記事を読めるかを決める。

例をいくつか挙げると、freeユーザーはbronzeの記事を制限無しで読めるがgoldの記事は1年間の閲覧制限を受け期間後は広告が表示される、premiumユーザーはgoldの記事を制限無しにまた広告無しで閲覧できる。
表にするとこうなる。

  bronze silver gold
free 制限無し広告有 1か月制限広告有 1年間制限広告有り
basic 制限無し広告無し 制限無し広告有 1か月制限広告有
premium 制限無し広告無し 制限無し広告無し 制限無し広告無し

このような組み合わせでいくと、広告での収入を見込みつつ、有料ユーザーの収入も見込め、どの記事もある期間が過ぎると恒久的なURLを持つ記事となる。ニュースは早さが命という面があるため、ある期間が過ぎた場合の公開はあまり運営の問題にはならないはずだ。

ニュースハブにまで範囲を拡大すると

しかし、これをもしあるメディアが行おうとしても仕組みが複雑なので自前で持つのは厳しいかもしれない。また、今どきはヤフージャパンなどのポータルサイト経由で記事を読む人も多いだろう。この形態での配信を行うサイトをニュースハブと名付け、そして、このニュースハブに上記の新形態の仕組みを持たせたとしたら。メディアはニュースハブに様々な料金でニュースハブに記事を売る。そして、ニュースハブはそれらを分類して効率よくアクセス数を上げ収益を上げる。

コメントはどうするか

ニュースハブにしてもネットメディアにしてもコメントできるようになっているところもあるが、はっきり言って質の低いものばかりになっている。しかしコメントについては新形態サイトなら単純な方法で解決する。つまり有料ユーザーだけコメントできるようにすればいい。なぜかというと無料ユーザーは無責任だが、有料ユーザーはお金を出した分そのサイトを大事にするからだ。

終わりに

これまで様々な形態のニュースサイト、ニュースハブがあった。しかし、そろそろ決定版と言えるようなものがあってもいいのではないか。ただ、様々な思惑があるのだろうか、まだそのようなものはない。

だったら、私が作る。

もし日本発の韓国語ニュースサイトで韓国に進出したら

日本と韓国の間の様々な問題

日本と韓国の間では様々な問題がある。竹島歴史認識慰安婦、最近ではレーダー照射問題など。こういう問題はたいていは国や政治家が何とかするものなのかもしれない。しかし、最近はどうだろう?どんどん悪化しているように見える。なぜ問題がありいまだに解決できないのだろうか。

問題はなぜ解決していないか

私はそれは情報の滞りがあるからではないか、と捉えている。どういうことかというと、韓国の新聞はネット上で日本語の記事を配信していて、それに加えヤフーなどを通して多く日本では共有されている。

ところが韓国ではどうだろうか。日本の、特に韓国との間での問題を日本の視点から、つまり日本の新聞マスコミの情報は韓国語として配信されているのだろうか。私はこの状況が日韓の軋轢の大きな要因ではないかと考えている。

というのも、日本語になっている韓国のマスコミの記事を見ていると、どうも日本の事情が意図的に省かれていると感じることが多いからだ。例えば日本ではあまり関心を持たれないが(もっとも韓国でもあまり関心を持たれているようには見えないが)、ソメイヨシノの韓国記事を見ていると、日本の主張、たとえば接ぎ木をしている、ということを両論併記で取り上げることはまずなかった。

このようなこともあり、情報の滞りが私の眼から見てあるように見えている。これが日韓の関係を考えるうえでかなりの重要な要因ではないだろうか。

しかし、ビジネスチャンスがあるのでは

逆に言うとそれらを解決する仕組みを作れるのであればビジネスにつながるのではないか、ビジネスチャンスがあるのではないか、と考えている。どういうことかというと、話は単純で、日本の日本による韓国語のニュースサイトがあればいいのではないか、ということだ。ITで情報の滞りを解決できるはずだ。

もっともこれは火中の栗を拾うようなものだろう。この問題ではあらゆるところから様々な、普通では対応できないような声が寄せられるだろう。しかし、挑戦する価値はある。

まず、単純な話として韓国は人口は5000万人を超え、その上にネット網が発達している。これは市場として価値がある。また、訪日旅客数の増加などを見ても、日本に関心のある人は潜在的に多いだろうからその人たちの関心が見込める。そして何より、個人的にITに関わる以上は何らかの、ただの金稼ぎではない、日本の世界のありかたを変えるような何かを成し遂げたい欲求がある。日韓の問題はちょうどいいのではないか。

新形態ニュースハブとの組み合わせ

今私は新しいニュースハブの仕組みを考えている。既存のヤフーのニュース配信の仕組みはどうもおかしいと感じている。そこでどういう仕組みのハブがあればいいか、ということを考えている途中だ。それと組み合わせられないか。もし組み合わせることができたなら、これまで見ていた世界はがらりと変わるのではないか、そんな思いがある。

終わりに

私はときどきITは何のためにあるのかと考えることがある。何のためだろう?金儲けのため?それは否定しないがただそれだけというのは何かおかしくないだろうか。もし、この記事を読んでくれた方で同じ思いを共有してくれる方がいれば、一緒に世界を変えて欲しいと私は願っている。

 

クラウドソーシングをやってみての感想―発注と受注、両方やるべし

今年に入ってクラウドワークスとランサーズに登録して受注と発注をしてみた。普通は私のような労働者はただ受注をするものだろうけれど、興味に駆られて発注もしてみた。そのあたりのことはこれまでも書いていたことだ。今回はまだ経験が浅いなりに分かったこと、分析したことを書いていきたい。

受注

まずはいくつかの受注をしてみて思ったこととして、誰しも思うことだろうが単価が安い。ライティングやタスクなどをやってみるとほんとに単価が安いものが多い。もっとも経験なしでも誰でもできることを謳っている作業が多いのだろうから当たり前なのだろうけど、それでも安すぎる気がする。

しかし、例えばIT系の専門的なスキルが求められるものであればそれなりに割りはいいのだがその分に強いライバルがいて受注が難しかった。

発注

前にも書いた通り発注もいくつかしてみた。

クラウドワークスで発注して契約成立。さてどうなる?

クラウドワークスとランサーズでタスク形式の依頼を投げてみたら

もっともお金がないので高額の依頼は出せない。なるべく

クラウドソーシングで稼ぎたいなら

もしある程度にお金が貯まったら、なにか自分に発注して他人にやってもらいたいことがないか考えて実際にいくつか発注してみることをお勧めする。受注だけしていると分からないことがたくさんある。

また、逆に発注だけを考えている人にも受注をいくつかやってみることをお勧めする。受注側に立たないと分からないことはたくさんある。

残念なことにいまのクラウドソーシングは受注だけか発注だけかの存在がほとんどであるように思う。もし今後のクラウドソーシングの隆盛を考えるなら、どちらも行う中間的な存在が必要なのではないか。

リモートワークの罠

それと強く強調しておきたいのだが、基本はクラウドソーシングはリモートワークになる。クラウドソーシングでもそれ以外でもリモートワークをしたことがあることは以前書いた。

リモートワークをして感じたこと

これを読んでもらえれば参考になるだろうがリモートワークには罠がある。くれぐれもリモートワークという働き方に甘い幻想を持たないようにしてほしい。

就労移行支援と収入

私は就労移行支援事業所を利用しているのだが、その前に利用するかどうかの話し合いがあり、そこで就労移行支援を利用するには収入があってはならないということを聞いた。そこで、実際に役所に行って詳しいことを確認してみた。

まず、アルバイトはどんなに短期でもダメということ、クラウドソーシングもかなり厳しい条件を満たさないとダメらしいということだった。その厳しい条件というのは自分の目指す職種につながる訓練と見なされるもので、しかもその条件を満たしても詳しく確認しないといけないということだった。

試してみてどうなるかは実際には分からないが、厳しそうな印象だ。ただ、私としては挑戦というか実験してみたい気持ちがある。というのもこういうことは実際にやろうとしてみる人がいて初めて様々な人、例えば相談支援の方や就労移行の方に知見や今後の対策があるようになるからだ。せっかく就労移行を利用するのだからいろいろと試してみて、なおかつ、社会貢献のようなことができればと思っている。

地元のこと・黒崎

私は福岡県北九州市に生まれ今もここにいる。今日は私の地元のことを振り返ってみたい。

私は北九州市の八幡に生まれ育った。一時期に鹿児島にいたが上手くいかず、それからは北九州の八幡で暮らしている。そのため、この町の黒崎の様相の変わり方を見てきた。黒崎駅周辺は商店街があり、バス・電車は充実している。しかし、小倉に比べるとずいぶんとさびれている。見渡せば老人ばかり、商店街はシャッターだらけ、どことなく元気のない人達…。

特に気に入っている、誇りに思っているわけではないが、やはり愛着はある。最近はここをどうにかしたいという気持ちが強くなっている。

東京に行くとかは個人的には嫌で、住み慣れた街に自分にぴったりな職場があれば人生いうことなしだ。

黒崎の周辺だと最近はマンションが多く建つようになったし、それにつられてイオンやスーパーも充実し始めた。何かきっかけがあれば賑わうのではないか、と思う。

ここ最近はこれこれこういう会社を作りたいという気持ちが強くなり、色々と動いている。見渡せば大きなチャンスがある。これを逃す手はない。

そして、何か地元のために何かできないかという気持ちも強くなっている。

やってやる。

エネルギー管理士を目指していたという話

20代のころ、エネルギー管理士を目指していた。20代中ごろから次第にITにのめりこみ、今ではそれで生計を立てようとしているのだが、とにかくそういう時期もあった。なぜ、私はエネルギー管理士を目指し、そして、今では目指さなくなったのか、ということを話しておきたい。

10代に物理に興味を示した

その前に、私がまだ子供のころや10代のころの話をしておく必要があると思う。昔の子供のころは特になりたい職業はなかった。みんなが目指しているらしいから夢はパイロット、ぐらいのもので目標らしい目標はなかった。ただ何となく理系の学問に興味があったような記憶がある。そしておそらく中学生のころだったか、テレビの影響か何かか環境問題のことに興味があってそこに何らかの関心を持っていた記憶がある。そして高校の時には物理や化学が得意で、宇宙物理学のような神秘的で究極的な真理のようなものに心を惹かれ、何となく将来は博士か何かのような研究に携わりたいと考えていたと記憶している。

そして大学へ

しかし、この何となくというのが曲者で実際に大学に行ってみるとまるでダメだった。親元を離れたくて一人暮らしをしたくて鹿児島大学に行ったのだが、これがまるで悲惨な状況だった。自己管理はできないし大学の、特に数学に全くついていけず、1年のころからすでに大学生活は破綻し始めていた。

エネルギー管理士を目指すが、しかし

そんなこんなで大学を中退し、しばらくは何もしていなかった。何をすればいいのか分からなかった。ただ、子供のころから興味のあった環境問題やエネルギー問題などに関わりそうだということでエネルギー管理士を目指してみるようになった。創造探検塾だとか若者自立塾だとかいろいろ経験するなかで自分なりに勉強してみたり、受験してみたりした。しかし、これも結局はだめだった。

もともと勉強が苦手で、しかもエネルギー管理士を目指す人は大学で学んだことを生かしているような状況で、独学で何かをしようというのが無理があったし、結局これも「何となく」目指していたようなものだった。ニートと思われたくないがためだけの勉強のふりだったのだと今では思う。

そしてITに興味を示しそれは成功した

ただ、20代の半ばころからはパソコンを手に入れ、良くも悪くも興味を示すようになった。時にはネトゲをし、時にはパソコンやITの勉強をし、といった感じだ。HTMLとCSS、そして20代後半ごろからはJavaも猛勉強した。そして次第にこれで生計を立てられないかと考えるようになった。

20代後半のころからは発達障害であると診断され発達障害支援センターのお世話になりながら、次第に、そして順調(?)にIT界へ足を踏み入れながらスキルと経験を積み重ねていった。そして、今ではITでどうしていくか自問自答している。

無駄ではなかったエネルギー管理士の勉強

結果的にはエネルギー管理士を目指したのは無駄だったように見えるのかもしれない。しかし、私個人としては無駄ではなかったように思う。例えば熱力学とそれに必要な数学的科学的な思考方法というのはITの分野でも応用が利いている感覚がある。論理的な発想や思考というのは広く応用が利く。統計力学的な発想や工学的な視点は大いに今の自分に役立っていると思う。決して無駄ではなかったのだ。

そして、今はどうしたいか

そして、重要な点としてなぜ私の興味や目指すものが変遷していったのかというのもある。というのも、宇宙物理学に興味はあったが、その前に地球の環境問題やエネルギー問題があるのだから、それが優先なのではないかと考えるようになり、そしてエネルギー問題の前に、差し迫ったIT化社会のもたらす様々な問題が優先ではないかと考えるようになり、と、いきなり視点が変わるのではなく徐々に視点が変わっていったからだ。

そして今どっぷり浸かっているITは環境問題やエネルギー問題に応用できるだろうし、実際にふとプログラミングなりITのデータに触れるとこれをエネルギー管理士の勉強や実務にどうにか役立てることはできないかと思うことがある。その思いは徐々にITとエネルギー管理の融合としてすこしずつ、本当に少しだが、私の中で育ってきている。それらは相互作用してお互いに高めあっているのだ。

そしていつかは

収入が安定し余裕ができたら、いつかエネルギー管理士の資格を取りたい。

ブログを「良く使う」コツは何だろう

去年からブログをし始めてみて、ふとブログを「良く使う」コツは何だろうと思った。なぜそう思ったのかは分からない。ただ、去年ライティングの仕事をしてみて同じ文を書くことの同じところ違うところが気になったのかもしれない。

それにしてもなぜ「良く使う」とは何か、と思ったのだろう。自分でもよく分からないが何かしら今のところは「良く使えてない」自覚があるのだろう。例えば私は今記事を書いていて何か楽しいとかお金になるとかを考えていない。一部を除いては今までもそうだったと思う。その一部とは何だったかと見直してみたら

もしも私が会社を作ったら

が、書いていて楽しかったように思う。想像して夢を膨らませてその思いをネットにあげて。

でもそれ以外のそのカテゴリーの記事は楽しく書いていただろうか。

ブログを書くというのは何なのだろう。怒りをネット空間にぶちまけることだろうか。そういうこともあるだろう。今こうしているように湧き出てくる思考の渦をただただキーボードを通してネットにあげる作業なのだろうか。

何となくだが、広告収入のため、何かを貶めるため、アクセス数のため、だと「良く使う」ことにはならないような気がする。何かの責務を負っていると何か楽しくないし、それなら何かしらの見返りが欲しくなるが、それが広告収入やアクセス数だと何か不健康なイメージがある。

と、このように何か考えてみたのだがさっぱり思いつかない。しかし、一つだけよかったところがある。こうして自分の心の中をある程度整理してみると気持ちがすっきりする。

それでいいのかもしれない。