水平野(すいへいや)

思ったこと考えたことを書いていく

就労移行支援と収入

私は就労移行支援事業所を利用しているのだが、その前に利用するかどうかの話し合いがあり、そこで就労移行支援を利用するには収入があってはならないということを聞いた。そこで、実際に役所に行って詳しいことを確認してみた。

まず、アルバイトはどんなに短期でもダメということ、クラウドソーシングもかなり厳しい条件を満たさないとダメらしいということだった。その厳しい条件というのは自分の目指す職種につながる訓練と見なされるもので、しかもその条件を満たしても詳しく確認しないといけないということだった。

試してみてどうなるかは実際には分からないが、厳しそうな印象だ。ただ、私としては挑戦というか実験してみたい気持ちがある。というのもこういうことは実際にやろうとしてみる人がいて初めて様々な人、例えば相談支援の方や就労移行の方に知見や今後の対策があるようになるからだ。せっかく就労移行を利用するのだからいろいろと試してみて、なおかつ、社会貢献のようなことができればと思っている。

地元のこと・黒崎

私は福岡県北九州市に生まれ今もここにいる。今日は私の地元のことを振り返ってみたい。

私は北九州市の八幡に生まれ育った。一時期に鹿児島にいたが上手くいかず、それからは北九州の八幡で暮らしている。そのため、この町の黒崎の様相の変わり方を見てきた。黒崎駅周辺は商店街があり、バス・電車は充実している。しかし、小倉に比べるとずいぶんとさびれている。見渡せば老人ばかり、商店街はシャッターだらけ、どことなく元気のない人達…。

特に気に入っている、誇りに思っているわけではないが、やはり愛着はある。最近はここをどうにかしたいという気持ちが強くなっている。

東京に行くとかは個人的には嫌で、住み慣れた街に自分にぴったりな職場があれば人生いうことなしだ。

黒崎の周辺だと最近はマンションが多く建つようになったし、それにつられてイオンやスーパーも充実し始めた。何かきっかけがあれば賑わうのではないか、と思う。

ここ最近はこれこれこういう会社を作りたいという気持ちが強くなり、色々と動いている。見渡せば大きなチャンスがある。これを逃す手はない。

そして、何か地元のために何かできないかという気持ちも強くなっている。

やってやる。

エネルギー管理士を目指していたという話

20代のころ、エネルギー管理士を目指していた。20代中ごろから次第にITにのめりこみ、今ではそれで生計を立てようとしているのだが、とにかくそういう時期もあった。なぜ、私はエネルギー管理士を目指し、そして、今では目指さなくなったのか、ということを話しておきたい。

10代に物理に興味を示した

その前に、私がまだ子供のころや10代のころの話をしておく必要があると思う。昔の子供のころは特になりたい職業はなかった。みんなが目指しているらしいから夢はパイロット、ぐらいのもので目標らしい目標はなかった。ただ何となく理系の学問に興味があったような記憶がある。そしておそらく中学生のころだったか、テレビの影響か何かか環境問題のことに興味があってそこに何らかの関心を持っていた記憶がある。そして高校の時には物理や化学が得意で、宇宙物理学のような神秘的で究極的な真理のようなものに心を惹かれ、何となく将来は博士か何かのような研究に携わりたいと考えていたと記憶している。

そして大学へ

しかし、この何となくというのが曲者で実際に大学に行ってみるとまるでダメだった。親元を離れたくて一人暮らしをしたくて鹿児島大学に行ったのだが、これがまるで悲惨な状況だった。自己管理はできないし大学の、特に数学に全くついていけず、1年のころからすでに大学生活は破綻し始めていた。

エネルギー管理士を目指すが、しかし

そんなこんなで大学を中退し、しばらくは何もしていなかった。何をすればいいのか分からなかった。ただ、子供のころから興味のあった環境問題やエネルギー問題などに関わりそうだということでエネルギー管理士を目指してみるようになった。創造探検塾だとか若者自立塾だとかいろいろ経験するなかで自分なりに勉強してみたり、受験してみたりした。しかし、これも結局はだめだった。

もともと勉強が苦手で、しかもエネルギー管理士を目指す人は大学で学んだことを生かしているような状況で、独学で何かをしようというのが無理があったし、結局これも「何となく」目指していたようなものだった。ニートと思われたくないがためだけの勉強のふりだったのだと今では思う。

そしてITに興味を示しそれは成功した

ただ、20代の半ばころからはパソコンを手に入れ、良くも悪くも興味を示すようになった。時にはネトゲをし、時にはパソコンやITの勉強をし、といった感じだ。HTMLとCSS、そして20代後半ごろからはJavaも猛勉強した。そして次第にこれで生計を立てられないかと考えるようになった。

20代後半のころからは発達障害であると診断され発達障害支援センターのお世話になりながら、次第に、そして順調(?)にIT界へ足を踏み入れながらスキルと経験を積み重ねていった。そして、今ではITでどうしていくか自問自答している。

無駄ではなかったエネルギー管理士の勉強

結果的にはエネルギー管理士を目指したのは無駄だったように見えるのかもしれない。しかし、私個人としては無駄ではなかったように思う。例えば熱力学とそれに必要な数学的科学的な思考方法というのはITの分野でも応用が利いている感覚がある。論理的な発想や思考というのは広く応用が利く。統計力学的な発想や工学的な視点は大いに今の自分に役立っていると思う。決して無駄ではなかったのだ。

そして、今はどうしたいか

そして、重要な点としてなぜ私の興味や目指すものが変遷していったのかというのもある。というのも、宇宙物理学に興味はあったが、その前に地球の環境問題やエネルギー問題があるのだから、それが優先なのではないかと考えるようになり、そしてエネルギー問題の前に、差し迫ったIT化社会のもたらす様々な問題が優先ではないかと考えるようになり、と、いきなり視点が変わるのではなく徐々に視点が変わっていったからだ。

そして今どっぷり浸かっているITは環境問題やエネルギー問題に応用できるだろうし、実際にふとプログラミングなりITのデータに触れるとこれをエネルギー管理士の勉強や実務にどうにか役立てることはできないかと思うことがある。その思いは徐々にITとエネルギー管理の融合としてすこしずつ、本当に少しだが、私の中で育ってきている。それらは相互作用してお互いに高めあっているのだ。

そしていつかは

収入が安定し余裕ができたら、いつかエネルギー管理士の資格を取りたい。

ブログを「良く使う」コツは何だろう

去年からブログをし始めてみて、ふとブログを「良く使う」コツは何だろうと思った。なぜそう思ったのかは分からない。ただ、去年ライティングの仕事をしてみて同じ文を書くことの同じところ違うところが気になったのかもしれない。

それにしてもなぜ「良く使う」とは何か、と思ったのだろう。自分でもよく分からないが何かしら今のところは「良く使えてない」自覚があるのだろう。例えば私は今記事を書いていて何か楽しいとかお金になるとかを考えていない。一部を除いては今までもそうだったと思う。その一部とは何だったかと見直してみたら

もしも私が会社を作ったら

が、書いていて楽しかったように思う。想像して夢を膨らませてその思いをネットにあげて。

でもそれ以外のそのカテゴリーの記事は楽しく書いていただろうか。

ブログを書くというのは何なのだろう。怒りをネット空間にぶちまけることだろうか。そういうこともあるだろう。今こうしているように湧き出てくる思考の渦をただただキーボードを通してネットにあげる作業なのだろうか。

何となくだが、広告収入のため、何かを貶めるため、アクセス数のため、だと「良く使う」ことにはならないような気がする。何かの責務を負っていると何か楽しくないし、それなら何かしらの見返りが欲しくなるが、それが広告収入やアクセス数だと何か不健康なイメージがある。

と、このように何か考えてみたのだがさっぱり思いつかない。しかし、一つだけよかったところがある。こうして自分の心の中をある程度整理してみると気持ちがすっきりする。

それでいいのかもしれない。

ツイッターをしていて思ったことと振り返り

私はツイッターをしてきた。といっても今回語るのは実名の方のではない。いわゆる裏垢というやつで匿名のものだ。もう何年になるだろうか。今回はそのことについて書いてみたい。

ツイッターで何をやってきたか

まずはそのアカウントで何をやってきたか振り返ってみる。初めは特になんともなしに始めてみて、それはずっと変わらなかった気がする。ITと政治から時事まで何でも興味のあることに飛び付いた。トゥギャッター等もよく利用していた。まとめの閲覧数が数万になったときは非常に興奮したものだ。今こうして何があったか思い出そうとしてもできないほどたくさんのことを経験したと思う。

ツイッターを通して

ツイッターを通して経験したこと、学んだことはたくさんある。特に大きかったのはITとかプログラミングについての知見が広がったことがある。勉強のためとそれっぽい人を少しずつフォローしていった結果、様々な情報に触れることができた。本当に様々なことだ。それ以外にも時事や政治からサブカルチャーからネタまで、多種多様な人をフォローしていった。もちろん、途中でフォローを外したりなどもあったが、次第にバラエティーに富んだTLになった。そのおかげでかつて2ちゃんに入り浸っていたときより人間的に大きく成長できたと思う。逆にツイッターがなかったらと思うとゾッとする。

ツイッターの欠点と中毒性

ただ正直なところ次第に疲れてきたところがある。SNS疲れというのもあるらしいが私の場合だと裏垢ということもあって実際の知り合いとは関わりがなかった。だからそんなこともないのかというと、やはりあって、相互フォローになると何かと気を使うようになるし、フォロワー数も気になってくる。いつからかツイートアクティビティも調べられるようになったのでそれも気になってくる。そうすると自分のツイートがどう反応されるかが世の中の全てのような感覚になる。

まるで、ツイッター中毒のようで、ツイッターがないとおちつかない気持ちになり、ふとしたことで、あ、これはツイッターだとどういう反応なんだろうとか、何か大きな出来事があればツイッターはどうなってるんだろうとか、一日中ツイッターのことを考えることもあった。よくよく考えてみればツイッター社としてはとにかくなるべくユーザーにはツイッターに張り付いてほしいだろうからそういう設計にしているのだろう。しかし、いつの頃からかツイッター疲れを自覚してくるようになって離れるきっかけを求めていた。

これからのこと

そういうこともあったところ、去年からブログをしはじめて、また最近だとフェイスブックの活用方法を探っていて手応えがあったのでついにツイッターから離れる機会が訪れたような気がする。

なのでこれからはブログを中心にフェイスブックを使っていこうかと思っている。ただ、もちろん利点もあるので完全に離れるわけではない。とにかくいい距離感で今後は付き合っていけたらと思っている。

リモートワークをして感じたこと

2018年は1月から8月末までリモートワークで働いていた。勤務地がちょっと遠いところだったし通勤が嫌だったので楽でいいかなと思い、リモートワークを選択した。初めは楽でいいかなと思っていたがだんだんと当初は思わなかった苦痛に悩むようになっていった。

その詳細を話す前に具体的にどう働いていたかを述べる。チームは雇い主とリーダー格の人と私の3人。やりとりはメールで行っていた。たまに雇い主から電話が来ることもあった。また、月に一度くらいミーティングとして勤務地で集まっていた。資料のやりとりはGoogleドライブを利用していた。

そのようなやりかたでも最初の方はそれで十分だろうと思っていたのだが、まずはメールが苦痛になってきた。というのもメールを書くには儀礼上どう書けばいいかで悩む。チャットのように用件だけでもいいのか挨拶を書いた方がいいのか、など。

また、自分だけで作業するので隣の人に画面を見せながら相談するということができない。キャプチャ画像などで連絡を取るのもしたが、それだけで伝わる情報は限度がある。とにかく自分でどうにかしないといけないことが多かった。

しかも、個人的に一番苦痛だったのがこちらから連絡はしてもリーダー格の人から何か報告をするとか連絡をするとか、特に相談をするというのが全くなかったのが大きかった。常にこちらから何かをしないといけないというコミュニケーション不全に陥ってしまった。

そうすると、だんだんコミュニケーション不全をどうすればいいかという余計なことに延々とエネルギーと時間を浪費することになってしまう。リーダー格の人は自分が上だと信じて疑わないような人だったので、下手でくるということはなくマウントをとりに来るばかり。その対応にも頭を悩ませなければならなかった。

そんなことが続いていて、Subversionを途中から導入したり、ビデオ会議をしたりとあったが、とにかく限界だった。ビデオ会議といっても相手が一方的にあれしろこうしろというばかりで情報疎通などなかった。

そんなわけで、あるときのビデオ会議の後、雇い主に退職のメールを出した。

振り返ってみると、最初のミーティングでいきなりこれこれ工数がどうだという話で、リモートワークをする上でどうコミュニケーションを図っていくかという基本的なところをおざなりにしていた。

もし、この記事を読んでいてそれでもリモートワークで働くことがあったら、コミュニケーションの取り方、特にリモートワーク特有の欠点を十分に話し合ってから作業に移る環境があるかどうかを注意していた方がいい。もしそのようなことがない仕事環境ならばすぐに逃げ出す準備をしておくべきだ。

北九州でIT系の会社を作りたい人はいないだろうか

就労移行支援事業所に通うことになって

今月の上旬あたりから就労移行支援事業所に体験として通っていた。今日はその利用する手続きに入った。ところがちょっと思わぬ事態が判明してしまった。なんと就労移行支援事業所を利用するにあたっては、副業ができないらしいのだ。収入があると働ける状態であるとみなされるとのことだった。

ちょっと前から収入源としてクラウドワークスやランサーズなどのクラウドソーシングでちょっとした仕事をしていたのだが、これがもうできなくなってしまったのだ。

これにはすごく困ってしまった。今年は1月から8月までリモートで社内ウェブ業務アプリの作製に携わっていたが、そのあとは無職で過ごしていた。そのため、もう今では貯金がつきかけている。

北九にIT系の会社は少ない

こうなると親に頼りつつ早めの就職をしなければならないが、本命とするIT系の就職となるとちょっと厳しくなる。そもそもIT系の求職は北九ではそれほど多いわけではない。しかも、あったとしても小倉北区が就業場所となっていて、通勤しなければならない。通勤が苦手な自分としてはあまり好ましくない。

パソコンの技能を活かして事務職を探すのも手であるが、自分的にはやはりIT系の仕事がしたい。

もし黒崎近辺にIT系の会社があったら

黒崎近辺にちょうどそんな感じの会社があればいいのだが、そうそううまいことがあるはずもなく、ハローワークで探しても条件に合いそうなのはほとんどない。

もし黒崎にIT会社があれば人材には事欠かないだろうからあっても良さそうなものだが、あまり見かけない。

最近の黒崎とその近辺はマンションが建ち並び利便性は高い。ちょうど良い立地だと思うのだが…。

だったら自分で作ったら

そうだ、それなら作ればいいじゃないか。ないものは作る、これで解決だ。…と、そんな簡単にはいかないわけで、私には会社を作れる知識も何もないし、作れたとしても社長として運営なんてとても無理だろう。

やはり無理か…いや、まだだ。まだあきらめるには早い。それなら他人に作ってもらえればいいのだ。

ネットの時代の会社つくり

「一体お前は何を言っているんだ」という声が聞こえてきそうだが、今はネットの時代だ。人材募集も仕事集め連絡の手段もネットをうまく使えれば効率よくできる。今私はGitHubクラウドワークスでウェブアプリケーションに関わることをいろいろとやっている。この技量を買ってもらって就職できるのではないか。

まずは誰かに会社を作ってもらい、そこに私がネットを利用して色々協力する。そして、ある程度行けそうだなとなったら、実習として潜り込みそのまま就職する。

うん、行ける。これなら行ける。ただし、そんな人が現れたら、だが。

結局は地道に行くしかない?

色々考えてみたが、うまくいく未来が見えない。結局は地道に行くしかないのか。

ただ、色々考えてこうやってアウトプットするのはタダなのだし、これからも何かあればこんな感じで記事を書いていこう。