日々雑感的な日記

思ったこと考えたことを書いていく。IT系の話題が多くできればいいな

JSONのスキーマを書くXMLのXML Schemaを書いた

以前からJSONスキーマXMLで表現できないかということを考えていたが、ここ数日でなぜか突然、こう書けばいいんじゃないか、というアイデアが降ってわいた。しかも、それを実際に使って検証するためのコードをJavaでも書いた。

そして、さっそくGitHubリポジトリを作りアップしてみた。

https://github.com/inomoto-hironobu/xjsonschema

タイトルを見ただけではよく分からない人に説明すると、JSONのデータがある一定の形式になっているかどうかを検証するためにはスキーマが必要で、そのためにJSON Schemaというのが考えられているそうだが、私はこれをXMLで書くといいのではと考えていた。で、その(XMLの)スキーマとしてXML Schemaを選び、書いてみたということだ。

えーとつまり、JSONスキーマXMLXML Scheamを書いた、のだけど、やっぱり分かりづらい。

ともかく、JSONスキーマについてはよくできた感触があるのでかなり自信があるのだが、このコミットログを見てほしい。

https://github.com/inomoto-hironobu/xjsonschema/commit/18a25e5f9e1247af9f3a30e77ac1e4a665b883ff

まあ、なんというか限界だった。途中の、スキーマインスタンス化するコードまではうまくいったのだが、検証するコードがめちゃくちゃになっている。

とてもじゃないけどうまくいく未来が見えない。なので、誰かに手伝ってもらいたい。

スマートフォンと腕時計

私は今年に入って腕時計を買った。1万円の高くもないが安物でもないもの。

それまではスマートフォンで代用していた。とはいってもいわゆるガラケーの携帯電話を持ちながら腕時計をしていた時期もある。しかし、安物の腕時計をしていたせいか、すぐに壊れてしまうことを嫌がって腕時計をしなくなっていた。

それからもう何年も経ってからまた腕時計を買って使うようになったのだ。なぜか?それはスマートフォンの電池がすぐになくなってしまうからだ。スマートフォンを時計として機能させるためには電池を気にしなくてはならない。それが意外とストレスになっていることに気づいたのだ。スマートフォンは高機能の分、電力消費が大きい。充電に気を使い、電池残量に気を使い、モバイルバッテリーを用意することに気を使い、という生活に耐えられなくなった。

しかし、腕時計を買ってからはそれらのストレスとは無縁になった。時間を見るときは必ず腕時計を使う。気を使う要素はほぼ皆無だ。それにかっこいいし邪魔にもならない。

今の時代、今どきの若い人はすべてをスマートフォンで済ませることが多いかもしれないが、少なくとも腕時計は用意しておいた方がいいと断言できる。高機能でなくても長持ちし、なるべくかっこいいもの。値はその分張るが、その効果は大きい。

スピーチ記事を通してやりたいこと

inmthrnb.hatenablog.com

先日スピーチ記事を上げたが、このことについて今後どうやっていくかを簡単にメモ。

 

結論からいうとITの事業の内容の理解は求めていない。
自分としては課題を見つけ、それに対して分析し解決策を提案できる能力を見てもらいたい。
つまり自分の能力と努力、解決策としてITの知識を持っていることのアピールができればそれでいい。
結果として起業できなくても、その過程で人脈が広がり、自分の能力を広く伝える効果があって就職の幅が広がると期待している。
スピーチ記事の共有が広がったら私の気が楽になり、周りも気が楽になると思っている。

私から世界へ

私から北九州へ

以前に記事を書いたとおり私は北九州で生まれ長年ここに住んでいた。そして最近はIT企業を起ち上げたいと思うようになった。なんといっても住んでいるところのなるべく近くに職場があった方がいいし、錆びれた町をどうにかできないかという気持ちがなぜだか強くなっているからだ。

愛着があるからなのか何なのかは分からないが、とにかく自分が周辺に合わせる、という発想がどうにも気に入らなくなっている。つまり、とにかくより人がいるところへ、という発想。そうではなくまず自分の周辺を変えたいという気持ちが湧き出て止まらなくなっている。

今はITの時代で本来なら場所は重要ではないはずだ。何かきっかけがあれば活気づく要素はある。住むのにちょうどいい要素がそろっているのは実際に私が実感している。北九州で何かできないかと動いている人は数多い。これはチャンスではないか。

北九州から福岡へ

福岡市は元気だ。福岡県といえば福岡市でのイメージを描く人が多いのではないか。ITでの活躍を夢見ている私個人の視点から言うとIT産業が強くなっている。以前から福岡市での就職も頭をよぎっていたし、実は以前に福岡市でIT系の就職をしないかと誘われたこともある。その時は一人暮らしが難しいから断ったのだが、一人暮らしに挑戦してみるべきなのかずっと悩んでいた。

ただ、自分が周りを変える、という気持ちが強くなった今、もう迷いはない。北九州で仕事をし北九州を変える。そして、福岡市と並んで福岡県をITで盛り上げていきたい、東京が何もかも中心な今の日本を変えたい、そういう挑戦がしたい。

福岡から日本へ

福岡は福岡市を中心としてIT産業で元気に動いている。もはやIT分野に限れば東京をいつか追い抜かすのではないか。福岡に住んでいると東京とはまた違って視点で世界を意識する。アジアの玄関口といわれることもある。今後はここが大きな役割を担うだろう。

日本から世界へ

ITといえばアメリカ、というのが多くの人の印象だろう。AmazonGoogleAppleMicrosoft、多くの世界的なIT企業はアメリカを中心にしている。そもそもがITの発達はアメリカを中心に起こってきたのであたりまえの話だろう。でも、それはずっとなのだろうか。IT界では英語が共通語のようになっているがそれもいつまで続くのだろうか?常識はいつまでも続かない。

そして、私から世界へ

思えば広大なネットで私は様々なことを経験した。ネット越しで得られる経験はもしかしたらたいしたものではないのかもしれない。しかし、ネットでしか経験しえないものはたくさんあった。世界をつなぐ、IT、インターネット、それは私を大きく変えたし、これからも大きく変えていくだろう。

でも、その一方的な流動は終わらせたい。今度は私から世界へ、変化を起こしたい。

社長を募集します

以前、会社を作ろうとするうえで、社長にはなりたくないことを書いた。

inmthrnb.hatenablog.com

今回はこの記事を発展させて本格的に社長を募集することについて書き、これを基にその活動に力を入れていきたい。以前の記事といくつか重複する内容もあるかもしれないがともかく書く。

作りたい会社

まず作りたい会社については今までの記事でも書いているが、まとめたものをMarkdownで書いてGitHubに置いている。

github.com

 

しかし、会社を作りたいが大きなハードルがある。自分には社長の役割をする能力がないし絶望的に社長という役割に向いていない。

 

人体型組織と中枢課

そこで中枢課という部門を社内に存在させる。この課は会社の方向性、理念、各部門への指示をできる権限を持ち、人体で言えば脳の役割を持つ。会社の組織としては中枢課と社長など管理職を脳と内蔵の機能に分割する。こうすることで社長の負担を大幅に軽減させる。そして、私は中枢課に所属しやりたいことに専念する。これができればいい。

社長を募集したい

そこでしばらくはこの会社の仕組みと理念と方針に理解と納得をもらえる方を探して社長になってくれるように頼む活動をしていきたい。できれば社長の経験者であるといいがどうだろう。今はITの時代、この記事を通して社長になってくれる方が表れてくれたらいいのだが。

北九州事業創出の会第1回で発表予定だったスピーチ原稿

挨拶

井本と言います。今日はお集まりいただきありがとうございます。

どんな会社・概要

私が作りたい会社の事業内容はITを駆使したニュース配信サイトを作り運営することで、これは日本語と韓国語に対応させます。そしてもう一つは日本から日本の視点での韓国語の記事を配信するメディアです。一言で言えばITで韓国に進出する会社です。

背景

そのような事業をしたいと思った背景を伝えます。

韓国のことについて整理します。この国は5000万を超える人口を有しインターネットが充実しています。近年では訪日旅行客が増加しています。しかし、一方で日本との関係は様々な問題があり悪化しています。また、韓国のメディアにはいくつも日本語版サイトがありますが逆はありません。

ITは情報の流通を劇的に変えました。個人からの発信を可能にし今まで見えていなかったことを可視化しました。しかし、一方で情報はタダという意識は価値のある情報を作ることを困難にし、PV至上主義は様々な弊害を生み出しました。

どんな会社・詳細

このような背景を基に会社の詳細を言います。会社は主に3つの部署を持ちます。IT部、ニュース審査部、メディア部の3つです。

IT部

IT部はニュースハブを作り運用することを主にします。ニュースハブというのはヤフージャパンのニュースサイトのように、様々なメディアから記事を集め配信するサイトです。このサイトは日本語と韓国語に初めから対応します。一部記事は有料で配信します。

ニュース審査部

ニュース審査部は記事の買い取りを行います。メディアが信用できるか記事に問題はないかを調べ、対応します。日本のメディアから韓国語訳の記事の買い付けを行うことになるでしょう。

メディア部

メディア部は日本から日本の視点で韓国語でニュースを配信します。韓国国民に対し日本への関心の高まりにこたえ、新鮮な情報と、国際摩擦へどう対応すべきかの参考となる情報を供給します。

目標

ニュースハブによって韓国でIT企業として確固たる地位を築き、世論を大きく変えることです。情報の滞りの解消は日韓間の問題を大きく改善するでしょう。これは日本にも変化をもたらします。

そして、メディアとITの従来の関係を変え、IT企業としてあるべき姿の提案をします。

このようにまずは目の前のことから取り組むのです。その経験は世界のその他の地域へと応用でき、世界展開が順調に進むでしょう。

地元企業として

地元企業としてどうしたいかを伝えます。私は北九州という街から福祉などで様々な恩恵を受けてきました。私は勤務地として黒崎商店街を検討しています。駅が近く人材確保が容易ということもありますが、活気がなくなって久しいこの土地の町おこしにもなると考えているからです。

そして東京には移動しないままここで事業を行っていきたいと思っています。

ここを起点として東京を中心に回っている日本の現状を変え北九州に恩返しをしたいと思っています。

終わり

ご清聴ありがとうございました。

 

私を作り上げたもの・福祉

20代のころは大学を中退し若者自立塾に通ったりしたがその後もうまくいかず、なんとなしに独学し始めたITとプログラミングの道へ進もうかとぼんやりと考えていた。でも、ろくに就職活動もせず結果としてなんのキャリアも積めていない自分がどういう道をたどってその目標にたどり着ければいいのか分からなかった。なぜ自分はうまくいかないのか、どうして自分はこういう人間なのかという漠然とした疑問と不安の中にいた。

発達障害

あれはもう10年も前になるのか。20代ももう後半になったあるとき、発達障害者支援センターのお世話になることになった。どうしようもなさの渦のまっただなかにいた、そんなときに自分が発達障害かもしれないということを知ることになったのだ。そのときのことはもうよく覚えていないけれど、なんとなくほっとした気持ちになったと記憶している。というのも自分が他の一般的な人と比べてどうもおかしいと感じていたが、自分だけで考えてもどう受け止めればいいのか分からず、ずっともやもやしていたが、それがはっきりと原因が分かったような気分になったからだ。

そして、しばらくの間はここの活動に参加していた。何をしていたかというと、発達障害を持つ人同士で集まりちょっとした活動、例えばゲームをするとかどこかに行くとかといったことだ。だいたい月に一度集まる感じだった。

ここで大きかったのは自分は決して孤独ではない気持ちを持てたことだろう。特に担当してもらった、ここではAさんとしておくが、Aさんの支援はその後の人生にとってとても大きかった。

障碍者向け施設

その後30代になってから、Aさんの勧めで障害者向けの施設である地域活動支援センターに通うことになった。ここではウェブサイトの作製やサイトの更新を行っていて、ちょうど自分のスキルが生かせる場所だった。ここで得たものは大きかった。それまでは自宅サーバレンタルサーバで自分の思い通りのサイト作成をしていたが、初めて他の人の依頼でサイトの業務に携わるようになったからだ。どのような流れで業務を行うのかを学べた。

ただ、少しばかりの手当は出るが賃金は出ず、仕事もあまり多くなく、プログラミングのスキルを伸ばせる見込みもあまりなかった。少しずつ別の道を探るようになった。

就労移行支援

この作業所には2年くらい通っていたが、ついに辞めて一般就労を目指すべく別の道に進むことを決めた。そこで就労移行支援に通うことになった。就労移行支援では一般就労に向けての訓練と支援を行っていた。

ここでは様々な作業を通して自分の仕事上の特性からビジネスマナーまでスタッフの方たちが親身になって教えてくれた。面接の練習などもあり、一般就労に不安を抱えていた自分にとってはすごく助けになっていた。またプログラミングの勉強もできて運よくJavaの資格を取ることができた。

しかし、体調の不安定さもあってなかなか就労への道が開けない中、時間が過ぎていった。

就労継続支援

そしてあるとき、ここのスタッフからある求人を教えてもらった。それが就労継続支援だった。ここは当時はまだできたばかりで多く人を募集している最中で何より自分の生きたい道であるITとプログラミングの事業を目指すところだった。それで一般就労ではなかったがここに行くことにした。

ここでは色々なことに挑戦した。ウェブサイトを作る、kintoneのカスタマイズの仕事をする、調べたり会議したり。事業が確立していない中で何ができるのかということを模索する日々だった。

ただ、2年くらいになるとさすがに無理が来た。激務の割に収入が乏しかったので続けることが困難だった。転職をしたかったのだが、いったん辞めて休養をとってから一般就労を目指すことになった。

そして再び就労移行支援

辞めた後、運よくリモートワークの仕事に就けたのだが、あまり長続きしなかった。そして、今は再び就労移行支援に通っている。また一からやり直しという形になったが、今はとても前向きだ。

ブログにいくつも書いているように最近は会社を起こす活動をしている。これがなんだかうまくいきそうな気がしている。仮にうまくいかなくても活動で得られた人脈などで一般就労もできるのではという希望がある。幸いスタッフの方をはじめ、周囲の協力が得られている。

福祉が私を作り上げた

私は今までさまざまな支援を受けて来た。それがなければ今の私はない。前向きに社会に働きかけようとするこの気持ちは支援をしてくれた方々の意思で出来上がっているといってもいい。もちろん家族の協力もあった。

この気持ちは大切にしていきたい。