水平野(すいへいや)

思ったこと考えたことを書いていく

私を作り上げたもの・福祉

20代のころは大学を中退し若者自立塾に通ったりしたがその後もうまくいかず、なんとなしに独学し始めたITとプログラミングの道へ進もうかとぼんやりと考えていた。でも、ろくに就職活動もせず結果としてなんのキャリアも積めていない自分がどういう道をたどってその目標にたどり着ければいいのか分からなかった。なぜ自分はうまくいかないのか、どうして自分はこういう人間なのかという漠然とした疑問と不安の中にいた。

発達障害

あれはもう10年も前になるのか。20代ももう後半になったあるとき、発達障害者支援センターのお世話になることになった。どうしようもなさの渦のまっただなかにいた、そんなときに自分が発達障害かもしれないということを知ることになったのだ。そのときのことはもうよく覚えていないけれど、なんとなくほっとした気持ちになったと記憶している。というのも自分が他の一般的な人と比べてどうもおかしいと感じていたが、自分だけで考えてもどう受け止めればいいのか分からず、ずっともやもやしていたが、それがはっきりと原因が分かったような気分になったからだ。

そして、しばらくの間はここの活動に参加していた。何をしていたかというと、発達障害を持つ人同士で集まりちょっとした活動、例えばゲームをするとかどこかに行くとかといったことだ。だいたい月に一度集まる感じだった。

ここで大きかったのは自分は決して孤独ではない気持ちを持てたことだろう。特に担当してもらった、ここではAさんとしておくが、Aさんの支援はその後の人生にとってとても大きかった。

障碍者向け施設

その後30代になってから、Aさんの勧めで障害者向けの施設である地域活動支援センターに通うことになった。ここではウェブサイトの作製やサイトの更新を行っていて、ちょうど自分のスキルが生かせる場所だった。ここで得たものは大きかった。それまでは自宅サーバレンタルサーバで自分の思い通りのサイト作成をしていたが、初めて他の人の依頼でサイトの業務に携わるようになったからだ。どのような流れで業務を行うのかを学べた。

ただ、少しばかりの手当は出るが賃金は出ず、仕事もあまり多くなく、プログラミングのスキルを伸ばせる見込みもあまりなかった。少しずつ別の道を探るようになった。

就労移行支援

この作業所には2年くらい通っていたが、ついに辞めて一般就労を目指すべく別の道に進むことを決めた。そこで就労移行支援に通うことになった。就労移行支援では一般就労に向けての訓練と支援を行っていた。

ここでは様々な作業を通して自分の仕事上の特性からビジネスマナーまでスタッフの方たちが親身になって教えてくれた。面接の練習などもあり、一般就労に不安を抱えていた自分にとってはすごく助けになっていた。またプログラミングの勉強もできて運よくJavaの資格を取ることができた。

しかし、体調の不安定さもあってなかなか就労への道が開けない中、時間が過ぎていった。

就労継続支援

そしてあるとき、ここのスタッフからある求人を教えてもらった。それが就労継続支援だった。ここは当時はまだできたばかりで多く人を募集している最中で何より自分の生きたい道であるITとプログラミングの事業を目指すところだった。それで一般就労ではなかったがここに行くことにした。

ここでは色々なことに挑戦した。ウェブサイトを作る、kintoneのカスタマイズの仕事をする、調べたり会議したり。事業が確立していない中で何ができるのかということを模索する日々だった。

ただ、2年くらいになるとさすがに無理が来た。激務の割に収入が乏しかったので続けることが困難だった。転職をしたかったのだが、いったん辞めて休養をとってから一般就労を目指すことになった。

そして再び就労移行支援

辞めた後、運よくリモートワークの仕事に就けたのだが、あまり長続きしなかった。そして、今は再び就労移行支援に通っている。また一からやり直しという形になったが、今はとても前向きだ。

ブログにいくつも書いているように最近は会社を起こす活動をしている。これがなんだかうまくいきそうな気がしている。仮にうまくいかなくても活動で得られた人脈などで一般就労もできるのではという希望がある。幸いスタッフの方をはじめ、周囲の協力が得られている。

福祉が私を作り上げた

私は今までさまざまな支援を受けて来た。それがなければ今の私はない。前向きに社会に働きかけようとするこの気持ちは支援をしてくれた方々の意思で出来上がっているといってもいい。もちろん家族の協力もあった。

この気持ちは大切にしていきたい。