水平野(すいへいや)

思ったこと考えたことを書いていく

社内公用語をエスペラントに

 

楽天

いつだったか楽天が社内公用語を英語にしたというニュースがあった。どういう理由でそうしたのかは詳しくは知らないが、私なりにそのメリットを考えると、今どきの大企業、とくにIT企業では労働者は多国籍であることが当然の世の中において、日本の企業だからと日本語を公用語にするより、すでに公用語としての面もある英語を社内の公用語にした方が言語の壁は小さいという点があるだろう。デメリットとしては多くいる英語が得意でない日本人があまり評価されない可能性があげられるだろうか。

社内公用語

しかし、これらのメリットデメリットは一般的な見方をした場合だ。私はそれとは違った視点からこの事例を考えている。それは日本企業であるにもかかわらず英語を社内公用語にしている限り、アメリカなどの英語を母国語にする企業には勝てないだろうという点である。というのも母国語以外の言語の習得はそう簡単ではないし、何せアメリカの企業などはそういった障害がないのだ。その差は大きく何らかの交渉をする場合などあらゆる場面に楽天は常に何らかの負担を背負った状態で臨むことになる。

エスペラント

これは英語がある国の母国語であると同時に公用語として使われてしまっていることに起因する。英語が既に多く使われているなら初めから英語を使うようにすればいいというのもある意味合理的ではあるからだ。しかし、そもそも使われる要因がこのように英語を公用語にすればいいという流れがあるためだ。これではずっとアメリカなどの企業は優位に立ったままだ。しかし、そこでエスペラントの意味が出てくる。

エスペラントを社内の公用語

もし仮にエスペラントを社内公用語にしたとしたらどうだろう。日本企業でそうした場合、一般的に使われている英語とは違っているため学習コストは高くなるかもしれないが多国籍な労働環境において、ある母国語が公用語になるという点を避けられる。しかし、そうなるとアメリカなどの企業と何らかの事態が起きたときにはどうすればいいのか?それはごく単純にその企業にエスペラントを会社同士の公用語として使わせればいい。もちろん、アメリカなどの英語を母国語にする企業は反発するだろう。自分が自然に使っている言語が公用語として通用しているのになぜわざわざ別の言語を公用語にしなくてはならないのか?と。

エスペラントを企業同士の公用語

しかし、そう思わせることが日本の企業であってもアメリカなどの企業と肩を並べる可能性を持たせると私は思う。なぜなら、母国語以外の言語を話す場を作ることが双方ともに生じればそれぞれに言語の習得という負担を持たせつつ、スムーズな企業同士の意思疎通が出来上がるからだ。なぜスムーズにいくのか?それはエスペラントはそのような場合にうまくいくように特化された言語だからだ。こうすることによって日本の企業であっても社内の差、企業同士の差を吸収して国際的な多国籍企業として動けるものになるだろう。

なのでもし私がIT企業を作るとしたら、まずは社内公用語エスペラントにする。

野党共闘、野党統一候補選びに使えるアンケートサイト継問を作ったけど

継続的なアンケートサイトの継問

github.com

作った作ったのちウェブから削除してGitHubにコードを置いているだけにしている。まだ開発途中でUXとUIがイケてないところがあるが、裏側のシステムはおそらくもう問題はないだろう。

リンク先にもあるように誰でもアンケートが作れて誰でもアンケートに答えられるようにしつつ、信頼性のある結果が出るようにシステムを構築してある。

ツイッターのアンケート機能を参考に、政党支持率や内閣支持率などの政治がらみの世論調査ができるように構築してあって、何年間かの構想を経て実現した。

そもそもこれを作ろうとしたきっかけが、野党共闘とか野党統一候補の実現ができるようなシステムがあったとしたら世の中はどうなるだろうかという思いからだった。裏を返せば野党共闘はうまくいっているように見えなかった。というのも野党統一候補を立てるなら、その前に野党間で疑似的な選挙を行って一番得票率が高い候補を唯一の候補とするシステムが必要だと思っていたからだ。そうすることで有権者も納得して実際の投票に臨めるはずだ。しかし現実は政党のお偉いさんの中で駆け引きで候補者が決まるという有権者の存在が低いなかで候補者選びが行われた。

私はこのことにかなりの違和感を持ったことを覚えている。まず有権者の意向を尊重するのが大事ではないのか?なぜそうしないのか?疑問の答えの一つがそもそもそれをできるシステムがこの世に存在していないのではというのがあって、もしあったらうまくいくのかもしれないのにと考えていた。そしてないなら自分で作ってみようじゃないかと思うようになった。

そうして経緯があってコツコツと作り始め、なんとか出来上がったわけだ。この継問を使えばまず野党間で候補者を上げ、その中から一番得票の高い候補者を実際の選挙の候補とするという流れを作ることができる。これはまず有権者の意向ありきでの流れなので実際の投票でも結果を反映したものになることが期待できる。もちろんアンケートの信頼性がなければどうにもならないがそこは自信がある。

しかし、作ってみて広告も出してみたが今のところ結果は芳しくない。UX、UI、ランディングページの出来がやはりまだまだ足りないせいか、あるいは自分の思いが伝えきれていないのかは分からないが、利用されている形跡はない。

もし、この記事を読んで関心のある人が継問と自分にアクセスしてきてくれないかと期待してこの記事を書いてみたが、果たして……。

もしも私が会社を作ったら

私は想像力があるというのか妄想癖があるというのか、色々と夢想していることがある。例えば、こんな会社があったら世の中はどう変わるだろう、とか、俺だったらこんな会社を作って大儲けしてやるのに、とか。

今の私は金なんてない。この状態から会社を作ろうとしても無理に決まっている。でも、想像するだけならタダ。やってみるだけやってみるのもいいだろう。

思い付くままに願望を書き連ね、妄想を楽しむのも人生には必要なのかもしれない。

そういうわけで、これからどんな会社があったらいいなと思うかをどんどん書けていければと思っている。このタイトルのタグでまとめるので暇な人は暇潰しにでも。

【Kの法則】あの国のあの法則なんて信じるな

法則

「あの国のあの法則」というものをご存じだろうか。

あの国のあの法則とは編集

 

Kの法則とか他にも呼び名があるようだが、ネットをよく利用する人なら、もしかしたら一度くらいはその言葉を目にすることはあったのではないだろうか。

もう何年前になるのか、私は2ちゃんねるをよく見ていてそこでこの法則を知った。これを初めて見た当時は「こんなのを信じる奴はよほどのバカしかいない」と思っていて、特に気にすることはなかった。しかし、ここ数年間の間に少しずつ心境に変化があって、この身を犠牲にしてでもこの法則を実証したい気持ちが沸き上がってきた。

サイコロゲーム

この法則を実証するためには何をすればいいだろうか?私はサイコロを使ったゲームで実証できると考える。内容はこうだ。

まず、2人で1チームを作る。片方は韓国人と私のチーム、これをKチームと呼ぼう。もう片方は日本人だけでチームを作る。このチームはJチームとしておく。このチーム間で10個のサイコロを振り、すべての出目が1ならKチームからJチームに1ポイントが渡り、それ以外ならJチームからKチームに1ポイントが渡る。これが1セット。それを100セット行い、最終的に決まったポイント差から勝敗を決め、ポイントが高い方が勝ちであり、負けた方はこのポイント分だけ金銭を払う。やり取りする金額は1ポイントあたり100万円とでもしておこう。またその時の金銭はチームの中でメンバーに50パーセントずつ分けるとする。

この場合、法則によると100パーセントの確立でKチームは負けるので法則を信じるものでKチームに参加する者はいないはずだ。しかし、それでは実証にならないので私が犠牲となりKチームに参加するのだ。

法則色々

ちなみに法則といっても色々とあるらしく、上記のこのゲームでは第1法則といわれるものだけを基にしている。他のも実証するためにいくつか条件を付ける必要があるだろう。

第2法則を考えれば実証のためにKチームの韓国人が抜け駆けできるようにしておく必要がある。これはKチームの韓国人があるセットにおいて「抜け駆け」と宣言すれば、そのセットの結果分だけ金額を総取りできるルールを追加すればいいだろう。

第3法則はJチームに参加する日本人は法則を信じているはずで、その日本人は(理由はさておき)自動的に韓国からかなり嫌われているはずなので、ゲームの参加が組むのと同義だという見方でも発動しない条件は満たす。

第4法則は特に考慮しなくてもいいだろう。

第5法則はKチームにおいて日本人が一方的な分配を受けることはないようにすればいいだろう。

第6法則は手を切らない限り負ける、なので実証のためには手を切らない必要があるがこれは満たされる。なぜなら私は犠牲になるつもりなのだから。ゲームの参加が縁となるという見方に対してもそれはまあ当てはまりそうなので多分大丈夫。

とまあ、こんな感じで法則を実証できるルールを追加していって厳密に証明ができるのではないだろうか。諸法則も色々あるが……心が日本人というのは、まあ法則を信じている人で、心が半島人というのは法則をバカにする人だろうか。え?お前が一方的に勝じゃないかって?いやいや、仮に金銭的に私が金を手に入れ、Jチームが負けたとしてもそれを補うような法則が発動するはずなので気にする必要はないのだ。

拡散を

この実証実験は参加者がいないことには始まらない。なのでこの記事を見た方にはぜひ拡散してもらいたい。きっと素晴らしい成果がもたらされるはずだ。もっとも法則を信じる人には拡散されずバカにする人に好んで拡散されそうな気はするが、細かいことは気にしない。

ちなみに

もし私が目にした法則が「韓国」の代わり国籍・民族・人種で差別を行うような者、という意味での「差別主義者」だったら私は可能性はなくはないと考えていただろう。負けるのが分かっているにも関わらずなぜかゲームに参加する者がいるかもしれない、と。ま、今となってはどうでもいいことだが。

タイトル変えました

創造探検塾の久野哲也という人物と会っていたときのこと

始めに

昔、もう十年以上も前になるのか、久野哲也という人物に会っていたことがある。どういうことをやっているのかはこれを読めばだいたいわかると思うし、もしかしたらこの記事を読む前に知っている人もいるかもしれない。

fsk-again.com

創造探検塾とか福岡青少年支援センターとか福岡心理教育研究所とか結局何をやっているのか分からない。

というか検索でこの記事に来た人もいるかもしれない。とにかくこの記事ではこの人物のことについて書く。内容はかなりディスるものになる。ネット上で他人のことをディスるのはあまりいいことではないのだろうが、ともかく書く。

始まり

2004年、24歳の時のこと。その当時の俺は鹿児島大学を中退して実家に帰ってきてから特に何をするでもなく、これから何をしようかと思案に暮れていた。

そんなとき、久野哲也という人物が突然に現れた。母親が言うところ、話を聞いてくれるとかそんなだったような記憶があるがあまり鮮明ではない。パソコンを買うように言われてその通りにし、そこから毎週一回に会いに来るようになった。やることはこの人が毎週(水曜日だったか?)家に来て、車でどこかに出かける、というものだった。何かをしてくれているという気持ちはあったが、俺は別に興味を持たなかった。というのもこの人がなぜ会いに来るのか、何を目的にしているのか、といったことが母親からもその人からも何も聞かされず、さっぱり分からなかったからだ。毎週だから何かをしていたはずなのだが、印象に残っていたことはなかったのだろう、もうほとんどの記憶はない。ただ、一つ印象に残っていたことといえば、その人は金を持っているんだなぁ、ということだった。スポーツカーのような高そうな車を何台も持っていたから。

一年たってから

しかし、1年くらい経ったある日、母親から「いくらか金がかかってるのかわかってるの。毎月15万かかっとるんよ。言わんでといわれたけど」と言われた。金がかかっているなんて全く話に聞いてなかったのでその時は何というか母に呆れた。そんな大事なことを息子に一言も相談もなく決めるのか、という侮蔑というか軽蔑する気持ちでいっぱいだった。金をかけてくれていたのかという申し訳ない気持ちもないではなかったが、その時は蔑視する気持ちの方がはるかに強かった。

週一で会うこともその後も続いたが、とにかく白けた気持ちで会っていた。その後、金がかかっているなら何か結果を出さなければ、という焦りもあったのか。愛知万博に行ったりや台湾旅行などもあったが特に俺には何ももたらさなかった。

あとになって聞いたが、確か、そういった旅行費は自分の分だけでなく、その人の分まで出していたらしい。(それをその時に聞いていたら行かなかったのだけどなぁ)そして、そのまま俺に何ももたらさないまま終了となった。

母の金が尽きかけたのだ。それに加えて当時、政府が主導していた若者自立塾を母が知ってそれを勧めてきたというのもある。母はもうすでにその人に愛想を尽かせていたので別の何かを探していたのだ。

そうそう、それと付け加えておこう。俺は一応は創造探検塾に通っていたことになっていたらしいのだが、俺は終了するまでそういうことになっていたとは全く知らなかった。ついでに言うと、終了するとき、母が終了料という、何百万円かを払わないといけない、でもそんな契約があっただろうか、契約書がどこかに行った、と愚痴っていた。合計で多分300万から400万くらいは払ったのではないか。

その後

そのあとはその若者自立塾に行くことになった。この時は自分でいくつかの誓約書だとかを書かなくてはいけなかったのでやったのだが、当然これは自分の意思でだった。母からの勧めはあったがなにより俺は自分の境遇を変えたい気持ちはあったので、ほとんど自分の意思で決めたことだった。行く前の説明では、あたりまえだけど金がどれくらいかかるかも期間がどれくらいかもちゃんと明示されていた。俺はそれをちゃんと知ったうえで行った。実際に行ってみても内容がかならずしもいいものではなかったという印象はあるが、何より自分で何とかしようという気持ちは育まれたと思う。期間は3か月で費用は計30万と安いものではなかったが、今の自分にとって必要な時間だったと今でも思う。

 終わりに

この記事がどのくらいの人の目に留まることになるのかわわからない。しかし、グーグル検索で久野哲也とか創造探検塾とかをキーワードにこの記事が目に留まることがあるなら言いたい。もしあなたがニートか引きこもりの子供がいて、この久野哲也という人に相談しようと思うならやめた方がいい。

まず、そもそもホームページには金がかかるなんてことは全く書いていない上に、かなりの金がかかるということを知ってもらいたいし、もし、それでもあなたが子供の相談を考えているなら、金がかかることを子供に教えて同意をとるべきだ。本人の意思を無視して金銭をかけることは全くの逆効果だ。何百万という金額は決して安いものではないのは当然のこととして、子供に知らないうちに何かの重責を背負わせるのは家族の問題をただ大きくするだけだし、俺の事例のように長続きせずに行き詰ることになる。なにより、何かの大きな金額をかけることを自分の子供といえ本人の意思を無視して決めることは絶対にしてはいけないことだ。将来に悲嘆にくれていてもどうにかしたいとあがいている人に、「お前の意思なんてどうでもいいから自分が勝手に決める」という態度を、どういう形であれとるのはやめなければいけない。それは意思や気力を削り取る行為に他ならない。本人には黙っていれば、とかそんな甘い見方をしていては絶対にダメだ。

……俺が言えるのこれくらいかな。

Docker ToolboxでのVirtualBoxのネットワーク設定の覚え書

Docker ToolboxとVirtualBoxを両方同時に使う必要性があったので、いろいろと設定したりとかしていたのだが、主にネットワーク設定で悪戦苦闘したのでそのことについて記し、覚え書としたい。

そもそもDocker Toolbox(以下DT)はVirtualBoxを必要としている。しかしインストール時にVirtualBoxもインストールするのであらかじめ用意する必要はない。しかし、すでにある場合はちょっとトラブルが出るかもしれない。自分の環境ではVirtualBoxはない状態でDTのインストールをやったのでそこは特に問題はなかった。これによってインストールされたVirtualBoxはDT専用ではなく普段使いのように利用できるのでそのあたりに苦労はなかった。

問題はネットワーク設定で、ホストオンリーネットワークを利用してネットワーク設定をするとき、どうしても2つできてしまうということがあった。それ自体はそう問題というほどでもないが、ミスってしまうとDTのほうがうまく動かないということがあった。

ネットワーク設定のため、いくつかの記事を読んでいたが、通常のVirtualBoxを単体でインストールした状態での前提で書かれていてちょっとはまったりした。

s.webry.info

この記事の中の「2.インターネット接続の共有を設定する」は思ったように設定できなかったので、これはしなかった。

nmtysh.hatenablog.com

この記事は助かった。

qiita.com

この記事でもホーム ネットワーク接続をするように書かれていたが、ドロップダウンでの選択肢にDTのホストオンリーネットワークしか出てこなかったのでこの通りにはできなかった。それ以外のところは参考にはなったが。

 

いくつか読んでみたが、自分のやろうとしていることとぴったりくる記事はなかったので苦労があった。結局ホームネットワークでネットワークのほかのユーザー、このコンピュータのインターネット接続をとおしての接続を許可する」はチェックを入れなかった。FTPVirtualBox上のデータを吸い出したり、HTTPサーバにアクセスできればそれで事足りたので、それ以外のネットワークの構築はしなかった。多分ゲストからのアクセスができないのかもしれないがそこまでは調べる余裕はなかった。

ブログを書くってどういうこと?

ブログ開設してみたけど、ブログには何を書けばいいんだろう。

実は昔、もう何年前になるのか、ブログを開いたことがある。でも、飽きたのかなんなのか一年程度で何も書かなくなった。元々そんなに書いていたわけではないのだけれど、ある時を境にパタッと書かなくなった。CSSをいじったりテンプレートをいじったりなど、ブログをカスタマイズしていくなかフロントエンドの知識を得るきっかけになったり、自分に与えた影響は大きくここからITエンジニアとしての第一歩を踏み出したといっても過言ではない。それなのになぜ?

その後はHTML、CSSXMLと学んで、プログラミングに興味を持ちJavaとかJavaScriptを勉強した。ブログを書くネタはその間に貯まったはずだ。しかし、今までブログを開くことはなかった。なぜだろう?

アウトプットよりインプットに意識が向いていたのかもしれない。しかし、今はアウトプットしたい願望とでもいうのか、頭にあることを外に出したい欲求があるように思う。自分では分からないがなにか変化があったのだろうか。

そして思う、ブログを書くってなんだろう。これをして何になるんだろう。今はツイッターだってある。IT関連の記事を書きたいならQiitaもある。そんな中あえてブログを書く意味とは?分からない、分からないが今は書けば何かが変わりそうな予感というか、変わったらいいなという希望があるのかもしれない。今こうして書いていることで自分の中の混然とした何かが整理されているような気がしている。それでいいのかもしれない。こんなことでいいのかもしれない。どうせ書くならたくさんの人に読まれたい気持ちもあるけど、今は何かを書くことそれ自体が自分にとって意味があればそれでいいと思う。